最近性が嫌になってきた
性が嫌になったってやけに抽象的だ
自分に起きた変化とでも言おうか
広告で性的なものを受け付けなくなった
もしかしたら純度の低いものに飽き足りたのかもしれない
生まれてこの方エロゲをやったことがないのだがおそらくエロに特化したものなら受け入れられるのかもしれないと思ったがこの過程では自分の意志が働いている
盲目さがある程度抜けてしまったからなのか広告を死ぬほど嫌悪している
お腹が空いていないときに重たいものを口に押し込まれるような不快感を感じている
ただ趣向の合わないものを見せられる環境に飽き飽きしているのか
ここ1ヶ月自慰をしていない
代わりに感情の起伏に流されなくなった
絶食系にならないといいな…
広告というより押し付けがましい思想を受けるのが嫌だというか
例えば男ならエロが好きだの断定して来る感じ
わからない
孤独は嫌だが関わることでストレスを受けるなら独りでいいや
今日も見事にこじらせてるのかもなあ
未だ抜けない毒毒しさ
嫌われようとする行為
自衛かどうか、少なくとも相手のことを自分なりに考えたりして性格に合わない嫌われ行為をする(自分もその一人だが)
もしくは現状に対して未来を恐れている
そんな状況を打開するために嫌われようとする
こういった行動はほとんど実際に嫌いだからというものではないと思う
目的達成のために相手が自分の枷、もしくは逆になっているからである
言うまでもないことだが嫌なことする人に対して嫌う、もしくは能力・立場を利用しようとして近づくのを嫌う行為は単に嫌いなだけであるので勘違いしてほしくない
僕は目的を隠すなら違和感なく嫌われるように仕向けているが嫌われるというのはあまり気持ちいいものではないな
意図的に嫌われるのは自分が少なくとも相手に負じゃない感情をもっているから
苦しいし辛いね
わざと嫌われる行為は相手も汲み取りやすいから結局元の状況に戻るのがたやすくなる
でもそうすれば結局決別できない
白黒はっきりしないとストレスになる性格じゃなかったらいいなあと思う
演じて、計算するくせに潔癖でなにもかも中途半端な自分が嫌い
生きづらいなあ
要件を言わない人
何故先に用件を言わないのか
ワンクッションだとしても断るかどうかは相手の自由である
その自由を侵す行為に自己中と言えよう
相手を下に見ているのかちょろいと思うのかは自由だがしっぺ返しが来るだろう
書いてて思ったけどたまにこれに近いことしてる気がする
先に要件を言わないということ自体は絶対にないが
機械は人に勝るのか
機械は人に勝るのかという問題
心のやり取りができるほど精巧でなければおそらくまさらないだろう
単純な作業のような上位互換
人は心のやり取りをして生きている
心のやり取りをした結果喜怒哀楽が生まれる
ゲームはどうなんだ?テーマパークはどうなんだ?
ゲームは人が作っている
決して機械的なものじゃないからこそ楽しい
テーマパークは感情の共有をするから楽しくいられる
話す相手もいなければ一回は楽しいが二回目はそうでもないだろう
だけどコンビニ店員がどうとか人の温かみを感じれないとかそれは馬鹿らしい
そんなことを主張する時点で目的が変わっている
また別に交流できる場所があるでしょうに
結論としては機械が人に勝ることはない
ありきたりに見えるが中途の理由もみてほしい
だが芸術を見てほしい
人の心を動かすからこそといったが何故悲しく感じるのだろうか
なぜ絵が悲痛に見えるのだろうか
絵は理解できるが音楽についてはよくわからない
やはり人間の心なんてまやかしじゃないのかと思う要素が芸術には感じられる
同時に、皮肉なことに、最も心の存在を感じさせてくれる
評論並みに曖昧になってしまった
結論は半分できているがうまく文章にできない
重い話を軽く言う
何故突然重い話を軽い調子や文脈で使うのか
それは自分でも未だにわかっていないが
きっかけがあったので考えてみた
考えついたのは以下である
・相手が受け止めるのを期待してないが少しは希望を感じている
・重く受け取ってほしくない
・冗談である可能性をあえて残している
しかし自分のように感受性が豊かだと(曖昧にしているが本心が見えているので)どれをとっても期待していないSOSに感じる
だけど相手に責任を持たせたくないがために愚痴と同じ調子かそれよりも軽い調子でいう
なんか様子がおかしいと思うとき、だいたいこういう前兆があったんじゃないか?
僕はできるだけ友達である限り不幸になってほしくない
もちろん利用したいだけの非情な人もいるだろう
前兆を読み取ってそういうのを聞くことによって心を軽くしてあげたい
そのために一定の距離に踏み込まないし踏み込ませないようにしている
話がそれた
自分語りをしたがるのは人の性だろうか?
重たい話を軽く言う
カンの告げる違和感というのは
だいたいあたっていて
これもバリエーションの一つかもしれないな
考えすぎか?
それとも記憶の補正んいかかって分析がおかしくなっているのかもしれない
何れにせよ心は無意識だから自分ですら推測することしかできない
より適切だと思うことがあれば記事などで私見を残しておいてほしい
岡目八目、
人の心に踏み込むのは一人では限界がある
自分にとっての孤独
いつから孤独を感じるようになったんだろう
おそらく
人間関係の中にいて
他者に少しでも自覚のないうちに依存していたのだと思う
顧みて思うことだが他者に依存すれば自分を見失うし、元々なくても十分に充実していた
繋がりがなくなると孤独になってしまう
一度ならと手を出してしまうともとに戻せない麻薬ーーーー
それが僕にとっては友情に感じられた
真の友情とは
他人に配慮しつつも
何一つ忖度しないことなのではないか
負の感情を持たず、正の感情も持たず
常にニュートラル
1つ1つの行動じゃなく
誰かを好きになった時点で、誰かを嫌いになった時点で
もうその関係は終わっているのかもしれない
原点に立ち返ってみると
割り切った関係、その場限りの楽しみ方
何一つ面倒のない生き方
自分の自由に演じ、行動し、縛られない
もしかしたら自分を好いていた人は
そういう所がいいと思っていたのかもしれない
だけど今はどうだろう
人のつながりを求め、孤独を感じて、
こんな自分に魅力はあるのだろうか
今の自分の鏡写しのような人に出会ったとき
おぞましいほどに嫌悪した
自分を取り戻すまでどれくらいかかるだろうか
物事に関心を寄せていた自分が人物に関心を寄せてしまった
何が好きかじゃなくて、誰が好きかなんて
そんなのもう
僕は嫌だ
人柄ばかり見て
つながりを求めて
評価されず
まっとうに生きない舌先三寸の能力のない人たちがギクシャクし合うビジネスなんて
現代社会に向いてないよ
嘆いてるだけ
思想なんてないよ
繋がりがあればあるほど
孤独なんじゃないか
繋がりがあるうちは
孤独じゃないんだろうけど
キョロ充ってそういうことじゃないのか?
自分の本音をさらけ出して
人から低く見られないようにすれば
批判されるようなものじゃないよ
ただ、周りを気にしぎるだけ
なんでそうなっちゃったのかなあ
もしかしたら
元々そうだったのかもしれない
誰かが何かをするからなにか言える
雑談力だのコミュ力だの
根本的に間違ってるんじゃないのか?
疑問に思わないか?
おそらく、不満があるんだろうな
言いたいこと言わないこと
何で衝突を恐れるんだろう
時間の無駄だって?
解決しないで先延ばしにするのが時間の無駄じゃないなら
そうなんだろうな
会社の会議が無駄だっていうのは
きっと縛られてるからなんだろうな
本音を言えないように
面倒を押し付けられる、やりたくない、却下される、権利を奪われる
ぶつかり合わなきゃ
一生孤独の傷なんて癒えないだろうな
何がそうしたんだろう
何がそうさせたんだろう
おそらく
他者の評価を意識し始めたとき
権利を濫用する質の悪い、そして程度の低い大人たちが存在するからなんだろうな
格差しか産まない憎悪増し増しの世の中で
そんな大人たちがいなくなるなんて理想論だけど
理想論で生きることの何が悪い
嫌われて嫌われて嫌われて生きていく
信念のない有象無象にいくら嫌われようが
自分の価値は変わらない
他者に依存するな
孤独はまやかし
依存するなら好きなことがいいね
趣味とか
これは没頭か…w
どんな状況も視点次第かもね